戦後、福岡の炭鉱町が舞台の私小説。決して大人だけではない、子供たちも確かに闘っていた。飢えや病気と、貧困や社会の不条理と生存を賭けて闘っていた…。
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目鯨翁
四六判・146頁(ソフトカバー)
ISBN 978-4-434-36350-4
2025年7月発行
僕達は戦争を知らない。しかしこの国の大人達は人間の尊厳をも脅かす敗戦の後遺症にのたうち回っていた。住む場所が無い人がいた、三度の飯にありつけない人がいた、手作りの松葉杖をつき、施しを乞う傷痍軍人達が街角に立っていた。健康保険証がなく医療の施し無く死んでゆく子供達がいた、給食にありつけず水道水で空腹をしのぐ生徒がいた。大人たちは傷を庇うように戦争のことを語らなかったが、今度は絶望という敵と闘っていたのだ。
子供たちはそれを聞いてはならないとわかっていた。子供もまた飢えや貧困と闘っていたからだ。
学校に行かず子守りをする少女達がいた、絶望した大人や社会の〝とばっちり〟と闘っていた、生きることを妨げるあらゆるものと闘っていた。しかしその痩せこけた顔の窪んだ瞳は希望を見つけようと必死に遠くを見ていた。
目鯨翁(めくじらおう)
昭和24年生。23歳の時、仕事中の事故で右足大腿部を切断した。義足で半世紀以上を生きてきた。今も尚、幻覚痛(幻肢痛)のため鎮痛剤とは縁が切れない。しかし障害者という特設リングにはどうしても馴染まなかった。結婚歴2回、子供3人。45歳の時、25年務めた会社を退職、世の不条理に打ちひしがれ、さりとて理不尽には決して屈せず、乗り越えた試練を鎧に纏い、抗えない運命は笑い飛ばし、悪魔との取引には決して応じず、さりとて神のご加護も得られず、何度も脱輪し、多くの人を傷つけ、自らもまた深手を負い、蛇腹の人生邁進中。後期高齢者となった今も生傷は絶えない、悩みの種は尽きない、『それでも人生は捨てたもんじゃあないぜ』と独り言ちながら生きている爺さんです。