明智光秀の末裔によって知られざる事実が
初めて描かれた衝撃の歴史小説。
¥2,200 (税込)
聞間一郎
四六判・250頁(ハードカバー)
ISBN 978-4-434-27836-5
2020年10月発行
32年間の光秀研究による、初めて明かされる本能寺の変と山崎の戦の謎を描いた歴史小説。民を想うが故に、自らを省みない人々をも救おうとした老将とその子供達の運命を描いた新説の衝撃作品!
<あらすじ>
明智光秀の出生から、天海が不立(ふりゅう)へ説明し始める所から物語は始まる。
光秀にとっては義理の叔父である、斉藤道三の所へ預けられることになる。教育係と明智家の領国経営の為に、ずっと明智光安は考えていたのだ。
十八歳になって光秀は、絶世の美女と噂の千草と恋仲となり赤子を授かる。
やがて、道三が認める程の見事な武将へと光秀は成長した。また、遠慮深さや奥ゆかしさを兼ね備え、人間としても進化してゆく。
朝倉氏へ仕え乍ら、将軍家へも仕えていた。織田信長へ仕えても将軍家へ仕えていた事柄は史実なのと、信長へ仕えた後で軍功限りなく、領地は言われているものよりも遙かに多い。
本能寺の変に関しては白羽の矢を立てられたが、あくまでも黒幕的な存在であり、直ぐ側に明智軍二万がいるのに僅かな手勢で京へ入ったのは、信長親子の悪さが垣間見える。
山崎の戦で、池田・中川・高山の摂津三人の合戦上の寝返りがあった。十八年後の関ヶ原の戦いで寝返りを画策した謀略担当は天海であり、実戦は遺臣達を纏めた明智光舎が担当した。また全国で行われた戦が関ヶ原であり、子供達が参加している。
大坂夏の陣で天海が士気を高めただけで無く、徳川家康の孫娘の千姫の命懸けの懇願へ因り、国松以下秀頼の子供達の助命を家康の顔色から伺った天海は「上様、子孫へ禍根を残す事となりますぞ」と殲滅を督促した。事後、家康は側近へ、あの時程天海の事を「恐ろしいと想った事は無かった」と述懐した。
春日局は光秀の甥の娘であるが徳川家光の生母であり、父親は家康である。國にとっても民にとっても徳川家にとっても佳い事柄を献策するのにも、先ず徳川一門であっても逢えない程の専横を誇ったが、天海へ対しては何時も臣下の礼をとった。その時に天海は涙ぐんだ時すらあったと言う。不立は音羽川近辺で横死する、これにより天海が画策した明智家復興は途絶えたまま幕末を迎えた。
聞間一郎(ききま・いちろう)
1969年生まれ。東京都出身。平成29年9月末日迄、東京ブザー株式会社の監査役員を勤める。現在は自営業。趣味は写真。
歴史物を初めて読む方も読みやすいように書きました。令和の御代での多くの心有る方々の目が開かれるならば、嬉しいです。